連盟のあゆみ

1.発足

富士宮市相撲連盟の発足は、滝川昇氏(現・静岡県相撲連盟会長)が、日本大学教養学部の相撲部監督に就任以来、静岡県相撲連盟役員から市連盟結成の強い働きかけがあり、池田正作氏と佐野栄両氏の呼びかけにより昭和39年に結成。
初代会長には遠藤熊雄氏、副会長池田正作氏、理事長滝川昇氏、副理事佐野栄氏の役員でスタートした。

2.相撲場建設

翌年、山川斌富士宮市長に陳情し、市営球場の東側に相撲場を建設。昭和41年5月に静岡県民スポーツ祭を誘致し、富士宮市が成年(一般の部)で団体優勝。中学の部でも富士宮第二中学校が優勝した。
翌年も県スポーツ祭を開催し市対抗で優勝。この間、市連盟主催で区対抗の相撲競技大会を開催する。
学生時代、大学選抜高知大会で個人優勝した中世古選手が、日大を卒業すると梅月旅館(滝川昇宅)に就職。滝川氏とともに富士宮市の青少年の相撲を指導し普及の原動力となった。
相撲競技人口が少なく底辺拡大を考え、当時の中体連理事長石川亨氏と協議し、富士宮地区の中体連で格技として『相撲』を指定。市内の中学校に相撲を奨励し各中学校PTAの協力で富士宮市・芝川町12校に相撲場を建設し、国技相撲道の普及活動に努力した。
現在も中体連相撲競技大会が継続して開催されており、平成7年度には新設の大富士中学校に相撲場が建設され、こけら落としの大会が開催された。現在富士宮市・芝川町の13校に相撲場がある。
なお、一層の相撲道の普及と青少年の健全育成を図るために昭和47年4月に富士宮市相撲連盟が主催し、富士宮市教育委員会の後援を得て、市営野球場において大相撲富士宮場所を開催した。
さらに同47年には静岡県立富士宮北高等学校に相撲部を創部し、相撲道普及にご理解のある方々のご協力で同校に相撲場を建設。落成式のこけら落としには、大相撲の横綱輪島関を招き、心技体の相撲道を披露し、落成を祝った。

3.活動

 全国一を目指し早速富士宮北高相撲部後援会を作り、初代会長に池田正作氏が。他数名の役員を中心に活発な後援会活動を推進した。また創部と同時に日大を卒業した小兵で業師として指導力のある形岡氏招き、その指導により創部3年目にして県大会で団体優勝に導き、三重県鳥羽市で開催された全国高等学校総合体育大会に出場し全国の注目を集め、見事団体三位(遠藤勝美、瀧誠吾、長嶋賢次、望月正康、佐藤雅弘)に導いた。
 昭和52年1月には全国新人相撲高知大会で団体準優勝(矢崎巌、中嶋和男、渡邉英仁)。個人では他を寄せ付けない圧倒的な強さで渡邉英仁選手が優勝。
同年5月に行われた全国高校選抜金沢大会では初の団体優勝(佐野恭治、中嶋和男、渡邉英仁)を果たし念願の日本一に。個人でも下馬評通り安定した実力を発揮した渡邉英仁選手が高知大会に続き優勝を飾る。
 さらに、同年島根県で開催された全国高等学校総合体育大会でも団体優勝(佐野恭治、松尾弘秋、中嶋和男、矢崎巌、渡邉英仁)を果たし、名実ともに全国に静岡県立富士宮北高等学校の名を知らしめた。渡邉英仁選手はその後開催された全国東西対抗相撲でも個人優勝を果たす。
 また、青森県で開催された秋季国民体育大会では、富士宮北高相撲部員(渡邉英仁、中嶋和男)が主力のメンバーで静岡県が優勝を成し遂げた。
 昭和55年1月には全国新人相撲高知大会で団体三位(日原雅康、佐野光昭、杉山(旧姓:真田)正博)に入賞。また5月に行われた全国高校選抜金沢大会でも団体三位(杉山(旧姓:真田)正博、佐野光昭、中嶋勉)に輝くなど、創部以来今日まで多くの優秀な選手を輩出している。
 さらに平成15年10月に47年ぶりに静岡県で開催された第58回国民体育大会秋季大会(NEW!!わかふじ国体)相撲競技において、当富士宮市相撲連盟所属の小山潤選手、篠原康治選手が戦前の予想を覆す大活躍で成年団体としては、静岡県アマチュア相撲史上初の全国制覇を成し遂げた。

4.普及

 昭和54年、小学生底辺の拡大が相撲道普及発展には最も必要と考え、『少年相撲選手権相撲競技』を開催し、今年度で27回目を迎えるに至っております。
 また、平成6年度より浅倉貞喜氏(相撲連盟会長)、山田樹氏(同副会長)、矢崎正文氏(同副会長)をはじめとする相撲連盟の指導者により、市教育委員会スポーツ振興課のご協力を得て『相撲教室』を開校し、相撲道の普及・発展と、青少年の健全育成の為、日々励んでおります。
 今後も更なる向上を目指し、相撲連盟一丸となって努力・精進していく所存であります。

 平成17年8月には『平成17年度全国中学校体育大会』・『第35回全国中学生相撲選手権』が此処富士宮市民体育館で盛大に開催されました。
 皆様のご支援とご協力に深く御礼申し上げます。